お経のこと
昨日、「楽しく生きなきゃ損!」やっと前向きに気づいた私ですが、ふと般若心経が気になって改めて現代語訳を調べてみました。
検索すれば自分に合う読みやすい現代語訳が出てきます。
みなさんすごいです。
柔らかい言い回しやロック調など解釈は同じでも言葉使いでこれほど違うとは・・・!
私の実家は福井県にある永平寺を本山とする曹洞宗を信仰しています。
毎朝お唱えをして法要のほかに(たくさんの僧侶が厳かに移動しながら読経する姿は、法衣の裾や仏具の扱いなどもありまるで舞を舞っているかのようで本当に美しいんです!!)
子供座禅会にも参加していました。
小さいころから本堂は遊び場で、仏具に気をつければ走り回っても梁や柱に登っても怒られず、お人形遊びやお昼寝などのびのびと過ごさせてもらった記憶があります。
ただ、『お行儀よく』としつけられたこともあり、周りの同級生と温度差を感じていて同世代の女の子が興味を持つことにもてないちょっと浮いた子だったので、常々
「普通の女の子になりたい」←どこぞのアイドルか!
と思うようになり両親への反抗期や世間を騒がせたオウム真理教の影響もあって
『宗教なんて普通の女の子っぽくない』
と距離を置くようになりました。
お経はすべて仏様やお釈迦様へのお供えの真言だとばかり思っていました。
改めて意味を知ると、般若心経は生きている私たちやなくなられた方の心の持ち方を説いているものなんですね。
家やお寺と距離を置くようになっても、ふとつぶやいていたのですが、不思議と気持ちが軽くなることがありました。
意味を知って「無意識に唱えていたのも、落ち込んだ私を見てお釈迦様が救ってくださっていたのかな~」と、都合のいいように思ってしまったり☆
つらい時期を思うと恵まれた環境にいながら、周りを気にして仲間はずれにならないように自分を抑えて合わせてばかりいたように思います。
ちゃんと「自分の今」を見ていなかったんですね。
だから窮屈で頑張ってみんなに合わせようとしても上手くいかなくて苦しかった。
お釈迦様は私に伝えようとしてくださっていたのかしら。
『普通になりたい』っていう自分本位の誤った認識で生きることから離れよ と。
ほんっとに40歳手前で気づくなんて遅いよなと反省してます。